愛猫との別れから一か月か経ちました。
毎朝感じていた、ひたひたこちらに向かってくる彼女の足音。
ダイニングテーブルから椅子へ、椅子から床に向かって、しなやかに下りてくる彼女の影。
家の中じゅう、そこここに、まだまだ彼女の気配を感じる毎日です。
17年前我が家にやってきた時、子供たちは小学生と中学生でした。
初めて飼うことになった生き物に興味深々。
野生の気質の強い子猫だった割には、不思議なほど自然に子供たちと馴染んだように思います。
子供たちはやがて大人なり巣立っていき、ここ数年は私と娘とねこの、三姉妹のような生活になっていました。
9月の初め、もう命は長くないと聞いて、大人になった子供たちはそれぞれ最期のお別れに帰ってきました。
すっかり食が細くなってしまい、大好きだった缶も食べられなくなったねこさんを前に、いつもは決して感情を出すことのない息子も目を真っ赤にして神妙な面持ちです。
小さい頃の思い出が走馬灯のように見えていたのかもしれません。
口元までエサを持って行って食べさせたり、足は立たなくなっても気丈にトイレに向かうねこさんの介助をしたり、リビングに布団を持ち込んで一晩を一緒に過ごしていきました。その様子は、ねこさんが最初に我が家にやってきた時のことを髣髴とさせるものでした。
ねこさんはそんな息子の気持ちに、頭をあげたり、クーンと鳴いてみたり、一生懸命こたえようとしているようにでした。
もしかしたら、もう一度回復するのではないかと思わせるように、でも今思えば最後の力を振り絞ってお別れしていたのだなあと思います。
休暇が終わり、息子が帰っていった次の日,
病院の先生が、頑張っている姿に感心して、
「大好きなお兄ちゃんのこと、待っていたんだね。」
とおっしゃいました。
息子たちがそれぞれの別れの時間を過ごし、東京へ、京都へと帰って行くと、
彼らの帰りを待ちわびていたねこさんの容態は一層弱弱しくなっていったよう見えました。
それでも、彼女は日常の生活様式を守って、一刻一刻を誠実に生きました。
移動するのがしんどいだろうとエサやお水を運んであげますが、それでも体が欲するとき、よろけ倒れながらもいつものえさ場へと体を運ぼうとします。
トイレもすぐ近くに用意してあげてましたが、そこではなく、廊下を越えていつものトイレまで進むのでした。
亡くなる前の日、それまで食事とトイレ以外は寝てばかりだったのに、気が付くとお風呂場にいるという、これまで見たことのない不思議な行動がありました。
ねこは死に場所を選ぶと言われますが、より静かで安全な場所を選んでいたのでしょうか。
エサはほんの申し訳程度なめる程度の食欲になっていましたが、私が食べていたハーゲンダッツアイスクリームに興味を示すしぐさをしたので、試しにスプーンを口元にもっていくと、おいしそうな音を立てなめましたました。
少しでも食べてくれればそれだけでうれしい。
明日はもっとおいしいものを食べさせてあげようと、ペットショップであらゆる種類のキャットフードを買い込みました。
そしてその晩のねこさんの調子は穏やかそうで、私も娘も久しぶりに穏やかな気持ちでベッドに入りました。
これが最後に見せてくれた元気な姿でした。
言葉をもたないねこさんと暮らした17年の歳月の中でいろいろな事を感じ考え学びました。
人と動物、人と人の、あるいは生き物同士の信頼関係は言葉によるものではないこと。かといって以心伝心とも違うこと。存在まるごとの思いやりをお互いかけ合うことによる種族をこえたつながりがあるのです。
そして、うちのねこさんとの間で、そのような縁を結ぶことができたと思っています。
この心のつながりを「幸せ」とよんでいいのではないでしょうか。
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