最近見たネットニュースの見出しに『犬化するねこ』みたいなのがあり、ん?と引っかかりがありました。
記事は読んでいないので詳しくはわからないのですが、ちょっと面白いので、かってな考察をしてみようと思います。
一般的に猫と犬の大きな違いは、集団生活ができないかできないかといわれます。
ライオンは例外として、殆どのネコ科の動物は群れることはなく、それに対して、犬にまつわる言葉で『一匹オオカミ』といえば、群れから外れた特異な存在をさすことでも、両極端の性質は明らかです。
我々人同士で相手を理解しようとする時にだって、『猫派』『犬派』を知ることで相手の性格の特徴を推し量ることも日常的にやっています。
猫派の人はひとりの時間を大切にしているかもしれない、とか、犬派とわかれば仲間とワイワイが好きなタイプかもとか、自然に距離の取り方の基準にしていたりします。
ところで、ねこの犬化ってどういう事でしょうか?
17歳になるうちのねこさん。アビシニアンという種類のせいか、野性味が溢れるほど豊かでした。人に合わせることはない、人に抱かれたりしない、人の膝には乗らない、お腹が空けば早朝だろうがお構いなく人を起こし、遊んでとねだっておいてすぐに飽きる。特徴的なのはニャンと言わない事でしょうか。
ところが、最近、人に対して友好的になってきまして、とっとことっとこ人になついて後をつけてきます。ニャンの代わりにウォンと言って喋るようにもなりました。
思わず、いぬか?と聞いたりしており、歳のせいなのかな、と思っていたところ、ネットニュースの見出しです。
人間も含め生物は全て環境に適応して進化してきました。視覚、聴覚、味覚、触覚など感覚器官をフル稼動させ、収集した情報を自分が生きていく上でより有益なものを取捨選択し記憶して、その記憶をもとによりよい環境適応を繰り返しているのが、生き物の歴史です。そして、何百万年も記憶が蓄積され遺伝子に書き込まれたものが本能です。ねこのねこたる所以は気の遠くなる程長い時間、何万世代の記憶の積み重ねという事になるわけです。
それなのに、昨今のこのねこの犬化現象。うちのねこさんの場合はひと世代も経ず、一生のうちに性質の変容が起こっていると考えてよいのでしょうか。
どうしたら快適にエサにありつけるかという学習の効果としたら、野生動物が人里に現れている問題ともあい通じるものを感じます。
環境の学習が、新しい性格を生み出すねこの犬化を考えるとき、ましてや人はことばという認知機能が利用できるのですから
心理臨床の徒としては様々な不適応の改善への大きな可能性を感じるわけです^_^
しかし、ねこのねこらしさこそを愛する猫派人間としては、あくまでもねこさんはねこさんの王道を貫いてほしいと願うものであります🐈🐈🐈love of cat 🐈🐈🐈
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