内観研修所主催の内観経験者の集う会が月例会で開かれています。私もそこのメンバーで、先週末に参加してきました。
毎月一回集まったメンバーから、その時だされたテーマを話し合うのですが、それぞれがお互いのことを尊重しながら、妥協ではなく、協調できるようになろうというのもこの会の趣旨の一つです。
私たちは、「多様性を認める」と口では簡単に言いますが、
自分と違う話に遭遇した時、腹が立ったり、イライラしたりしてしまうことが、実はとても多いのではないでしょうか。
素直に相手を認めることは実に難しいことです。
会に参加していると、そんな心の狭い自分の姿も返ってくる気がしています。
先日は会の後に有志による音楽セッションがありました。
三線、ギター、太鼓、ハーモニカなどがうち揃い、私はフルートで参加させていただき、沖縄民謡の「花」を練習しました。
三線の初心者もいて、基本は歌を歌うことだという訳で、
一時間程の練習の間、みんなで何度も何度も繰り返し歌い続けました。
フルートは、歌声を支える役割として、ずっと主旋律を奏でておりました。
この曲のサビの
「泣きなさ~い~ 笑いなさ~い」は、
誰もが一度聴いたらすぐに覚えてしまう歌詞と旋律です。
沖縄民謡独特ののんびりしたメロディーの中に、
秘められた悲しみと、深い悲しみゆえの慈しみを感じるのは きっと私だけではないでしょう。
ロングトーンのこの部分はフルートでの聴かせ所でもあります。
言葉はなくとも、音で歌詞のニュアンスを表現したいと、心の中では歌い手と同じように歌詞が歌っておりました。
次の日のこと、ふと亡くなった高校時代の友人の事を考えておりました。
「もう一度会いたかった」などと思っているうちに、不意に涙があふれてしまいました。
とても大切な人だったので、亡くなったと聞いた時はずいぶん落ち込みました。しかし、喪の作業のために2泊3日で内観もしましたので、自分の中では整理がついているはずでした。
にもかかわらず、涙はあふれて止まりません。
心の奥底に沈めていた様々な悲しみが、堰を切ったがごとく流れてくるとでもいうのでしょうか。
悲しくて泣いているというのとも少し違う、不思議な涙でした。
「泣きなさ~い~ 笑いなさ~い」
と、前日何度も繰り返し歌っていくうちに、歌の心が魂に通じたに違いありませんでした。
歌に教えられた通り、泣きたい心に逆らわないで、時間を涙に任せました。
今朝は、心も体も軽く感じられます。
物事にも軽やかに対処できる予感がしています。
歌と音楽は、人生の友だと改めて実感した週末の出来事でした。
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